旧東海道の旅1日目


【14:17出発】本日は梅雨の中日なのか、非常にいい天気です。家にいるのはもったいないので、前々からやりたいと思っていた旧東海道の旅にでることにしました。日本橋から京都の三条大橋まで旧東海道を徒歩で制覇しようと思ってます。土日だけ移動して平日は家に戻り、また次の土日に再開するというスタイルで数ヶ月いや数年かけて達成しようと思ってます。司馬遼太郎の「龍馬が行く」では、幕末に坂本龍馬が日本の行く末を考えながら旧東海道を何往復もしていますが、僕も龍馬ほどではないがこれからの日本の行く道を考えながら歩いてみようと思いってます。左が出発地点の日本橋です。ここが、旧東海道中山道の始まりです。たくさんの人が写真を撮っています。観光スポットなんですね。年配の方が比較的多い感じです。ここから旧東海道を歩いてき生き、東海道53次の53宿場を制覇していき予定です。ちなみに、東京の旧東海道ルートは、基本は15号線(第一京浜)と同じルートになりますが、途中いくつか細い道に入らないといけないので事前にネット等で詳細なルートを調べておくのがいいかと思います。ルートを記述した地図用ファイル(KMLファイル)をネットにアップしてくださっている親切な方もいらっしゃるのでそれを利用するのもいいでしょう。僕も、KMLファイルをスマートフォンのグーグルマップに読み込ませて常にルートを確認しながら進もうと思っています。それではスタート。

まずは、日本橋をスタートして十数分で京橋から銀座に出ます。銀座は初めてなので見るものすべてが新鮮です。この日は休日なので歩行者天国になってました。東日本大震災の影響による計画停電の混乱を避けるなどの理由で中止されていたそうですが、4月から再開されたそうです。非常に賑わっています。銀座を抜け環八の高架をくぐると新橋です。高架下に肉のハナマサが入っています(ハナマサってチェーン店だったのか。知らんかった)


新橋を過ぎてJRをくぐったあたりから人の数が急に減ってきます。ほとんど歩いてない。まあ、オフィスのビル群からかなり外れているので、こんな場所を徒歩で移動している人は珍しいんでしょう。さらに進むと浜松町界隈に入ってきて、また人の数が増えてきます。大門交差点で左手に世界貿易センタービルを見ながらさらに先に進むと、古川という川にでます(左写真)。屋形船がたくさんありますね。




さらに進んで田町をすぎると札の辻交差点に出ます。ここの歩道橋からは東京タワーが良く見えます。写真だと分かりにくいかな。東京タワー方面の道が桜田通りです。





さらに先に進むと高輪大木戸跡に出ます。ここはかつて江戸の南側の出入口だったそうです。wikipediaによると「街道の両側に築かれた幅約20メートルの土塁の間に木戸を設け、明け方六ツに開き、暮れ六ツに綴じて、治安の維持と交通規制の役割を果たした」そうです。木戸が閉まった後は、江戸市中に入れないので、このさきの品川の宿場で一泊していたのでしょうね。


高輪大木戸跡を抜けるとすぐに泉岳寺の交差点に着きます。ここを右折すると少し先に有名な泉岳寺があります。せっかく来たので寄り道して泉岳寺まで行ってきました。泉岳寺は浅野家の菩提寺で47士が吉良上野の助の首を打ちとった後、ここに首を持ってきて主君の墓に仇討成功の報告したそうです。後に切腹した47士の墓もこの寺に埋葬されています。浅野内匠頭の墓のすぐ横に埋葬されていました。ちなみに、横に赤穂浪士の記念館があるのですが、閉館まで10分しかなかったので入れませんでした。残念。

【16:53】寄り道から元のルートに戻って品川方面に移動再開。ここからしばらく歩くと品川駅が見えてきて、そこを過ぎてさらに歩くと、八つ山橋交差点に出ます。ここから、15号線と旧街道が分かれます。旧街道は、交差点を左折してすぐに右折し、さらに左折するという複雑なルートを行きます。予め知ってないと絶対に来れないと思います。左の写真が53宿場の最初の宿場の品川宿の入り口です。位置的には京急の北品川のそばになります。


この宿場街は、北品川商店街になっていて色々なお店で賑わっています。道幅は旧街道のままで、まちなみも当時の名残を残しています。今は祭りのシーズンみたいで、太鼓を叩く人や浴衣をきている人などがいて非常に活気がありました。写真では宿場に入ってすぐの場所なのでそんな感じがしないですが、もう少し先に行ったあたりから賑わってきます。ここに来てようやく旧東海道の雰囲気が出てきました。よかった。


こんな感じのお店が立ち並んでいます。もちろん飲み屋や焼き鳥屋なども立ち並んでいます。









上の写真が品川宿本陣跡。本陣というのは、宿場で大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家のことです。現存している本陣もあるそうですが、品川宿や次に行く川崎宿には残っていません。


北品川商店街を南下し、目黒川(品川橋)を渡ると南品川商店街になります。元々の宿場街は北品川なので北品川の方が賑やかな感じがしました。商店街はここからさらに青物横丁・鮫洲・立会い川まで続きます。







上が立会川と浜川橋です。この先の鈴ヶ森処刑場に連れていかれる罪人とその肉親がここで最後の別れをしたことから、涙橋と呼ばれていたとか。



【17:45】立会川の手前で右の細い路地を行くと坂本龍馬銅像があります。この近くに、土佐藩の品川藩邸があって、当時、外国船に対する警護のために坂本龍馬もここから警備に行っていたそうです。



上の写真がさっき泪橋の説明で出てきた鈴ヶ森刑場跡です。罪人の処刑場です。



【18:29】鈴ヶ森刑場跡を過ぎると旧街道は15号線に合流し、大森スポーツセンター付近で再度、細い道に分離します。美原通りと言うらしい。こっちも商店街になってますが、普通の住宅街といった感じです。ここを数十分あるくと大森警察署前に出て、またまた15号線に合流します。ここからは多摩川までほとんど15号線沿いを歩くことになります。ここからが非常に辛かった。なんせ、景色も代わり映えせずに延々と15号線を歩くだけなので、体力・気力とも非常に消耗します。15号線は京急とほぼ平行に走ってて、京急電車に抜かれながら、大森駅梅屋敷駅京急蒲田駅雑色駅を延々歩き続けます。すでに19時を回っていて、あたりは完全に暗くなっています。歩くこと3,40分位でようやく六郷土手に到着。実際の旧東海道はここから左に折れて、渡し船多摩川を渡るのですが、もちろん渡し船はないのでそのまま15号線をあるいて橋を渡ります。江戸初期は徳川家康が橋を作ったそうですが、洪水で度々流されたのでそれ以降はずっと渡し船だったそうです。多摩川の橋を歩いて渡るのは初めての体験です。ゴールはもうすぐ。



川を渡り切るとすぐに15号線の下を右にくぐって本町方面に行きます。すると上の写真のような川崎宿の説明の看板が見てきます。ようやく川崎宿に到着です。



【19:51】写真のような宿場跡の説明を読みつつ歩を進めるとようやく本日のゴール、砂子交差点に出ました。ちなみに、川崎宿は18世紀の大火や太平洋戦争の爆撃で昔を偲ばせる建物はすべて焼失したそうです。記録も残ってないようですね。さて、日本橋から砂子まで大体5時間半くらいかかりました。時間的には予想通りでしたが、予想外に体力を消耗しました。特に股関節の痛みが激しいです。次は、もう少し休憩をとりながら歩いたほうが良さそうです。次回は、いつになるか分かりませんが、砂子から神奈川宿を目指す予定です。これから、川崎の天一でこってりラーメンを食べて家路に着きます。



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